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No.160 Red-headed Barbet

Photo & Text:Motoaki Itoh

今回は、"Red-headed Barbet (和名:ズアカゴシキドリ 学名:Eubucco bourcierii)"です。

Red-headed Barbet (和名:ズアカゴシキドリ 学名:Eubucco bourcierii)

悪気があってアップした訳ではないのですが、拡大すると迫力がある小鳥ですね。

このコスタ・リカの高地からヴェネズエラ西部、コロンビア、エクァドールそしてペルーの北部に至る広い地域に棲息するズアカゴシキドリは、歌舞伎役者の舞台化粧も真っ青な、かなりど派手な頭部とごつい嘴を持った鳥なせいか、中南米の野鳥写真を掲載しているホームページではほぼ例外なく見ることができます。この果実や昆虫を食べる野鳥は、エクァドールではアンデスの東にも西にも棲息していて、海抜800から1900メートル位の所に多いのですが、La Costa(海岸地帯)の、太平洋に面した国立公園“Machalilla (マチャリージャ)”では海抜0メートルの所でも目撃されているそうです。Machalillaは以前にも説明したように、エクァドールからペルーの太平洋岸に沿って存在する幅広い乾燥地帯“Region Tumbesiana (ツンベス地帯)”にある、未だかなり本来の乾燥森林の姿を残した国立公園で、そこではこの地区固有の動植物が多く見られることで、学問的にも貴重な場所です。

ガイド・ブックに描かれた棲息分布図を見ると、バナナ園廻りをしているときに目にしていても良い筈なのですが、私はこの鳥をバナナ園内で見たことはありません。未だLa Costaに原生林や二次林が方々にもっとあった時代、そう30年以上前になりますか、グァヤス平原に大規模農園や牧場、水田が広がっていても、その周辺に何らかの理由で残されていた林や森があちらこちらにあったので、それらの林や森が緑の回廊の役目を果たして、アンデス西山麓や乾燥森林で覆われた海岸山脈(Cordillera Costanera)とそれらの林や森を抱えた農地をつないでいた結果、この鳥に限らず今ではほとんど見ることがなくなった野鳥や捕食獣を目にすることがありました。今日、産地視察のためLa Costaを双発機で飛んでいると、眼下にバナナ園、水田、牧場、グァヤス水系の河川、無数の沼地を見ることが出来ますが、農地と山々を繋ぐ緑の回廊はあちらこちらで寸断されています。しかし、樹木こそ少なくなっていますが、ここでは緑の世界が続いていますので、広い棲息域を必要としない野鳥や、草原の鳥は逆に増えているような印象があります。ただし、人口流入問題を抱える都市では古くからの高級住宅街を除いて、白茶けた緑の見られない居住地域が広がり続けています。と言ってもそれらの区域は、広いLa Costaのグァヤス平原の中では、ぽつんぽつんと点在しているに過ぎません。一方、林の中に白い、日本人の感覚では「お屋敷」といった、大きな家々が見られる高級住宅街の様相は今も昔もあまり変わっていません。その理由の一つは相続税が安いので、世代が代わっても鬱蒼とした木々に覆われた広い家の維持を可能にしているようで、その事情は緑豊かなカナダのバンクーバーの高級住宅街などでも同じことのようです。

Red-headed Barbet (和名:ズアカゴシキドリ 学名:Eubucco bourcierii)

Tandayapa Bird Lodgeの野鳥探索路で探鳥中、混群の中から撮れたズアカゴシキドリ。

翻って、我が国の首都圏では、羽田を飛び立って西へ向かうと、眼下には、緑のほとんど無くなった居住地が延々と続き、三浦半島の付け根の鎌倉・金沢地区、大磯の高麗山、丹沢の麓、箱根を除くと緑が減少し続けています。その鎌倉でも、居住区域の緑は、立派な庭木を何本も抱えた家々は更地にされ、葉っぱや枝も未だ生え揃っていない、細い一年か二年の若木を生垣に植えただけの、新しい購入しやすい価格の家々が取って代わっています。自動車の出入りに邪魔だ、大きな樹を残すと造成費用が余分に掛かる、などと言う理由で、数百年の欅や松などの古木が次々と切り払われ、市街地からは緑が消えているのが現状で、おそらく10年もしないうちに、山を背にした神社仏閣と緑豊かな居住区が織り成す古都の景観は大きく変わっていることでしょう。鎌倉では家々の大きな庭木が山と山を繋ぐ緑の回廊の役目をしていましたので、野鳥や狸達にとってはとても棲み難い時代になったのでしょう。

話を元に戻して、このズアカゴシキドリはアップにされた写真で見ると、なにか恐ろしげな顔付きをしていますが、実際にフィールドで見ると、体も15、6センチしかありませんので、顔付きのディテールは肉眼では当然見られませんし、その半面、羽の美しい模様が先ず目に飛び込んで来るので、かわいらしい鳥だとなあ、と言う印象を持ちます。損な鳥ですね。