皮を剥いたバナナが載せられた餌台に一羽でやって来たFlame-faced Tanager.
今回取上げたFlame-faced Tanagerはガイド・ブックによると、アンデス山脈に沿ってヴェネズエラからコロンビア、エクァドールそしてペルーに至る地域で棲息しているそうですが、なかなか和名が見つかりませんでした。顔、頭部、背中、翼に掛けてのかなり派手な模様にも関わらず、和名が簡単に見つからないのが不思議でした。私もこの鳥をはっきり観察できたのは今年の四月、ついこの前のことで、それまでは見掛けることはあっても、写真に撮ることはもとより、じっくり見ることもありませんでしたので、この鳥の写真(デジタル)が撮れた時は、「こんなに目立つ鳥だから、同定は簡単だろうな。」と嵩をくくっていました。事実、英名と学名は簡単に分かりましたが、和名を知るのに時間が掛かりました。はっと思い付いて、和名が分からないとお邪魔するサイトのオン・ライン野鳥図鑑を訪れ、やっとこの鳥の和名が分かりました。そして、念のため、最近頻繁にエクァドールにいらしているコスタ・リカ在住のバーダーの方のホーム・ペイジに伺って、野鳥インデックスを参照させて頂きました。そこでは「アカガオナナイロフウキンチョウ」と書かれていました。「最近、和名が変わったのかなあ。」と、ちょっと面喰っています。ただ、ナナイロ(七色)と入った方が、この鳥の特徴をより的確に捉えているような気がします。棲息域はアンデス山脈北部から中部諸国に跨っているし、色彩豊かな野鳥で、どうして和名が直ぐに検索出来なかったのかが未だに腑に落ちません。
このFlame-faced Tanagerは通常、海抜1500から2500メートルの高さの林や森の樹冠部にいるようですが、ただ、エクァドールの南西部では700メートル程の高さの所でも見られる、と説明されています。道理で、この派手な鳥をバナナ園の周辺では見ることがない訳です。南西部とは南部のバナナ産地エル・オロ州のことですが、この州は太平洋に面しているため年間を通じて昼と夜の温度差がかなりあり、特に乾季は南極からのフンボルト海流の影響をまともに受けるので朝晩は涼しく、夜は南風(北半球の北風に相当)が吹くと膚寒ささえ感じるほどです。そのお蔭で、昼夜の寒暖の大きな差を求めてわざわざ作土層が浅く、かつ、霧の発生し易い気象条件等バナナ栽培に適していない山の中へ入ってまでバナナ園を営む必要はないため、普通は海抜300メートルを超えるとバナナ園を見ることはありません。そんな訳でこの鳥を過去に見かけたのはMindoの山の中より高い所だけでした。
15メートル程は離れていたのですが、どうも私の存在、あるいは長く白いレンズが気になるのか、落ち着きなくひっきりなしに頭を上げていたFlame-faced Tanager。 直ぐに食堂に行きました。
この写真が撮れたのは、第144回Collared Inca(シロエリインカハチドリ)のところで書いた、Mindo Lomaにあるちょっと瀟洒なレストランで、たまたま運悪く出くわしたヨーロッパから来た50代と思われる女性フォトグラファーが当然といった態度で、ひっきりなしに外付フラシュを焚いてVelvet-purple Coronet(フジイロハチドリ)を撮っているのを目にして、非常に腹が立ち、気が短い自分が、若者達の表現で言う「キレる」前にその場を離れて、ハイウェイに面した斜面に設置されたバナナが置いてある餌台の方へ歩いて行ったときでした。餌台の周りの木々には、Bananaquit(マミジロミツドリ)、Golden Tanager(キンイロフウキンチョウ)、Lemon Rumped Tanager(キゴシフウキンチョウ)等の その地域の常連から、Beryl-spangled Tanager(ギンボウシフウキンチョウ)までが群れていました。混群が去って静かになった餌台に一羽でやって来たのがこのFlame-faced Tanagerでした。「おお、やっと会えたね。」という思いでシャッターを切り続けていると、ガイドさんのDannyが“Por fin, la comida esta preparada.(やっと、食事の支度が出来ました。)”と、知らせてくれました。食堂に入って行くと、件のオバチャン(普段はこの表現は使わないようにしているのですが)が連れのヨーロッパ人の男性達やエクァドールの人達に囲まれて傍のテーブルに座って食事を始めるところでした。 レストランの責任者を呼んで、私達のテーブルを唯一空いていた隅の窓際に変えて貰ったことは言うまでもありません。