ホテル・ガラパゴスの玄関からバンガロー風の個室に向かうコンクリートの通路に立ちはだかる様にして、餌にありつくのを待っていたガラパゴスオオアオサギ。
今回取上げたのはガラパゴス諸島に棲息するオオアオサギで、大陸にもオオアオサギはいます。両者の間の一番大きな違いは、他の野鳥種にも共通した現象ですが、大陸の鳥は人を怖がり、ガラパゴスの鳥は人間を怖がらないという点です。生物学的にどの様な差異があるのかは知りませんが、おそらく差はないのだろうと思います。アオサギの類は最近私の住む鎌倉でも、春から秋にかけての日暮れ時には、巣へ戻る 5 羽から 10 羽ぐらいの群れが次々に北から南へ飛んで行くのを目撃できます。多分、材木座の上空を飛んで帰巣する数だけでも、毎夕 30 羽は下らないと思います。確かにここ数年山裾にある自宅の周りに来る野鳥類は減っていますが、例えば、アオゲラの鳴き声を聞く回数も減っていますし、イカル、トラツグミ、レンジャク、鷹類の姿を見る機会が極端に減っている反面、アオサギの生息数は目に見えて増加しているようです。それでも、彼らは未だ人間をかなり警戒しており、私がヴェランダから白く大きな望遠レンズを向けると、群れは飛行方向を変えます。
それと比較すると、ガラパゴスのアオサギは、殆ど人間を怖れていないようです。この写真のガラパゴスオオアオサギは、 Santa Cruz 島のホテル・ガラパゴスに居付くというか、同ホテルを餌場にしているというのか、ホテルの台所から、魚料理のあまり物、頭、骨、臓物、尾鰭、胸鰭、客の食べ残し等が、捨てられる時刻を予測しているかのように、その時刻になると台所の出口付近にやって来ます。初めて、ホテルの入り口でこのオオアオサギに遭遇すると、大概の日本からの観光客はぎょっとするらしく、皆さん、「なに、この大きな鳥。大丈夫ですか。」と聞きます。人間が歩いてくると、二、三歩横に動くだけで、決して飛び立つようなことはしません。上記のような残り物を食べる以外は、普段、小魚や蟹、そして、海イグアナの子供などを餌にしているようです。多分、ガラパゴス諸島に興味を持っていらっしゃる皆さんの中には、ガラパゴスオオアオサギが海イグアナを銜えている写真を見た事があると思います。人間の生活、活動に順応して生きているのは、日本のカラスだけではありません。ガラパゴス諸島では、漁船や観光船に纏わりついて離れない Brown Pelican( カッショクペリカン ), Flegatebird (グンカンチョウ)などが特に有名ですが、ダーウィン・フィンチの中にも、観光客の口から落ちた、クラッカー、ビスケット、クッキーのかけらを地面で拾っているものが沢山います。中には、第 30 回に掲載した写真のように、観光客の食卓にまでやって来て、食べ残しを突っつくフィンチもかなりの数に上ります。人間が野鳥を追わなければ、野鳥も人間と共生する方法を身につけます。野鳥や野生動物はありのままの姿で生きているのが理想で、人間活動の影響は極力排除すべきだと主張する人が多いのですが、私は、人間が生きて行く為に、木々を切って畑にし、森や林をつぶして牧場にし、湿地帯を田畑に、海岸や河岸を埋め立てて工場地帯に、山を崩して宅地造成して行くという現実、あるいは必要性から動物たちの生息環境を変えている、あるいは、変えざるを得ない事実があるのに、動物が人間生活、活動に適応している姿は望ましくないと言われても、何か釈然としないものを感じます。
ホテル・ガラパゴス前庭の風景の一部になったようなガラパゴスオオアオサギ。
幾つかの社会的要因で、私が子供の時に見ていたような大きな「お屋敷」がなくなって、我々が購入しやすい価格の分譲住宅が増えることによって木々が、緑が市街地から目に見えて減少している鎌倉、黒熊をスキー場のリフトから眼下に見ることがちょいちょいあったヴァンクーヴァーの北側の斜面が、高級住宅街になってしまった例、原野がバナナ園や牧場になった例、マングローブの林が海老の養殖場になった例、人間が生きることによって野生動物の生息環境を、彼等の側から見ると悪化させた例は数えだしたら限がありません。これも地上最強の生物になった、人間が生きて行く上での業かと、達観しようと努めております。動物に限らず、生存する強者、巧者にくっついてそれを利用して生きて行くのも、生きとし生けるものの知恵、適応力の為せる業なのかと。